★ 第1回  ★


◎『今昔物語集』巻第24 藤原為時昨詩任越前守語第30◎
小学館日本古典文学全集より
今は昔、藤原為時という人がおった。一 条天皇の御代に、式部丞を勤め上げた功労 により国司になりたいと願い出たが、除目 の時に国司の欠員になっている国がないと いうので、任じられなかった。  そこで、これを嘆き、翌年、除目の修正 が行なわれた日、為時は博士ではないが、 たいそう文才のある人物であったから、内 侍を介して天皇に請願文を奉った。その中 に次の句があった。   苦学の寒夜、紅涙擦を霑(うるお)す   除目の後朝、昔天眼に在り 内侍はこれを天皇のお目にかけようとした が、天皇はその時ご寝所におはいりになっ ていて、ご覧にならなかった。  ところで、御堂(道長)は当時閣白でいら っしやったので、除目の修正を行なわれる ため参内なさって、為時のことを奉上なさ ったが、天皇は為時の請願文をご覧になっ ておられなかったので、何のご返答もなさ らなかった。そこで、関自殿は女房にお尋 ねになると、女房が、「じつは為時の請願 文をお目にかけようとしました時、天皇は すでにおやすみになっており、ご覧になり ませんでした」とお答えした。そこで、そ の請願文を捜し出して、関自殿が天皇にお 見せなさったところ、この句があった。関 自殿はこの句のすぱらしさに感心なさって、 ご自分の乳母子であった藤原国盛という人 がなるはずであった越前守をやめさせて、 にわかにこの為時をそれに任しられた。 これはひとえに請願文中の詩句に感心な さったためであり、世間でも為時をほめた たえた、とこう語り伝えているということ だ。